9/18/2011

無題

先ほどTOEFL@神奈川が終了いたしました。TULLY'S COFFEEにて書き留めます。

うーん・・・・率直に。超悔しい。

Reading5題で完全に挫かれた。TOEFL iBTの場合、Reading/Listeningで午前中が終わるのですが、Reading 3~5題(一題につき12~14問)、Listening 2~3セット(一セットにつき大体、会話1題プラス講義形式2題の計3題)という感じで、テストによって何題出るかが変わるんですね。経験的にはReading3題の方が多かったのですが、まさかここで5題出るとは・・・。3題終わって「よしリスニング!」と思ったらまだReadingが続いて、かなり挫かれました。




・・・・でもそれだけじゃない。ListeningもSpeakingもWritingも全部駄目だった。すごく悔しい。
例えば留学した人間なんかはちょっと勉強すれば100点超えるんだろうけど、だからこそ留学せずに107点とってドヤ顔してやりたい。笑

何かが決定的に足りない。自分の中で全然「英語使える!」って思えない。
リーディング量?スピーキング量?語彙力?



先が見えない。

今までテストというものは腐るほど受けてきたが、ここまで先が見えないとともに、「あれ?もしかして自分には出来ないのか?」って思える瞬間は初めて。努力に裏切られた感がするのも初めて。風車に立ち向かうドンキホーテ宜しく、立ちはだかる壁がでかすぎるように感じる。中学からずっっっっっと英語だけは得意科目だったから、多分今自分は最高の挫折を経験している。



だからこそ、107点とった瞬間、自分は自分史上最高に成長出来ると確信している。
この挫折、overcomeすれば成長、overwhelmされれば・・・死刑宣告みたいなもんですね。
他の留学の準備は、全て「やったる!」というアクティブな気持ちで動いていますが、英語の勉強に関してはその気持ちなどどこにもない。

今の自分を突き動かすのは最早強迫観念。


やるしかない。


今は、英語は、楽しいものなんかじゃない。


9/14/2011

学会に行って。思うこと。

9月の暑さでは無いと思う今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

さて、9月2日までの学会でこてんぱんに打ちのめされたことは以前のブログを見てもらえば良いわけですが、学会から帰ってきた時点で何を考えたか、少し書こうと思います。


僕が学会に行く前に考えていた、「日本の英語教育の問題点」は研究者の間では前提条件であったことは以前言った通りだが、同時に僕が考えている「日本が目指す言語政策の方向」とかぶる意見はなかったのでほっとした。これは10月30日の学会で話そうとしていることなので、もう少し理論的なバックボーンが出来たら、このブログにもアップしようと思う。

ただ、今の時点で言える事を一つだけ。

今世界では多言語化が急激に進んでいる。Multilingual societyってやつだ。輸送網・交通網の発達によって、多くの人と文化と言語が、世界中の複数の地域に混在するようになってきている。当然そうなると、複数の言語や文化が衝突し、多くの場合文化/言語同士がmajority/minorityの関係に立つことになる。日本でも、1980年代以降急激に在留者数が増えつつある「ニューカマー」(新来外国人。国際結婚や出稼ぎで日本に来る人々の総称。)と日本人との間の軋轢が問題になっているのは周知の事実だ。
そのMultilingualism(多言語主義)と似た概念が、Plurilingualism(複言語主義)というものだ。欧州評議会(CE)で採用されているCEFR(セフアール; Common European Framework of Reference)というフレームワークに用いられている。複言語主義は簡単に言えば「『どれか一つの言語』じゃなくって、みんながいろんな言語話せたら良いよね」って考え方。既にヨーロッパでは母語+2外国語を話せる教育体制を整えつつある。Multilingualismは「社会の中に複数の言語が混在していること」、Plurilingualismは「個人が複数の言語でコミュニケーションがとれること」といったところだろうか。

学会で強く感じたが、近年このCEFRに似た議論を日本を含めたアジア諸国で広げようという風潮がある。普通に暮らしていると気づかないかもしれないが、言語政策の部分では確かにその風潮が存在する。Multilingual societyの中で複数の言語が生き残っていく方法は、Prurilingualismだ!みたいな。その考え方自体は否定しないし、そもそも肯定・否定するだけの知識が今の自分にあるかと言われればそれも微妙だ。笑

さて、この時点で考えていること。それは「英語に関する政策」と「その他外国語に関する政策」がごちゃまぜになっているのではないか、という懸念。英語という一つの外国語に対してすらその教育方針・方法が固まっていないのに、CEFRの考え方で複言語主義を推進しようとするのはまだ早すぎる気がする。CEFR的な考え方を推進しようとする人の中に、「これからの時代、英語じゃなくて複言語主義っすよ!」と言っている人がいないか心配だ。英語に関して教育方針が定まっていない日本という国には、複言語主義を根付かせる土壌がない。高校卒業しても英語でコミュニケーション取れる日本人は皆無だというのに、中国語や韓国語やインドネシア語やマレー語なら出来るという事はないだろう。

アジアにおける経済連携を優先して複言語主義が推進され、教育現場の混乱を招くことだけは避けてもらいたいと思う。


9/11/2011

まとめてブログ③

早いもので今日で震災から6ヶ月が経ちましたね。とりあえず自分には学生生活が最優先なので、勉強したり遊んだり、普通に暮らすことを目指します。

さて、まとめてブログ三部作もいよいよ最終章。
この時点での状況はこんな感じになっている。
・この日から福岡に飛び、JACET(大学英語教育学会)の50周年記念大会に出席(~9月2日)。
・9月7日に、10月30日の学会のrough draftを教授に提出。
・9月18日にTOEFL@神奈川を申し込んだ。
・9月29日に卒論中間発表がある。
・1週間前に比べると大分精神的な落ち着きがある。

以上の(ry


8月30日
人類が試行錯誤の末生み出した、鳥人間コンテストもびっくりの鉄製鳥形飛行体、エアプレーンで福岡へ。東北地方から九州までおよそ2時間弱で結ぶとは。類人猿もやるではないか。

さて、ほぼ常夏island、福岡は天神に降り立ち、14時頃ホテルへチェックイン。
その日はそのまま、18時からreception dinnerがあるとの事なので、速攻スーツに着替えて会場へ向かう。運賃は往復で500円。

まぁだがしかし、この辺が経験の差ってやつだ。
reception dinnerは完全に内輪です。気をつけましょう。教授と学会のお偉いさんしかいませんでした。来ちゃいけない雰囲気を瞬時に感じた私は、幼少の折父に教えてもらった「絶」を使い自分のオーラを消し、母が万一の事を考えて洋服の左肘に縫い付けてくれた「キメラの翼」を使ってホテルに帰った。そう、運賃は往復500円。

なお、その日は20時30分には就寝。何故なら次の日は7時起きだから。逆算して21時くらいには寝ないと駄目なのだ。


8月31日~9月2日
この期間で「本当の」学会があった。詳しく書いていると面倒なので省くが、とにかく自分の考えの甘さに気づかされた。学会に行く前に、僕がやりたいことは "language policy"と呼ばれる分野ではないか?と例のアメリカ人の教授が教えてくれたので、主に "language policy"について発表している場所に行った。そこで見聞きした問題点は、ほぼ全て僕が考えていたことだった。ただそれは僕が研究者に追いついていたというわけではなく、要するに僕の考えていたことなど研究者の間では常識だったということ。そしてそれを踏まえた上の議論が展開されていた。しかも聞き取れねーし。ショック。

ちなみにこのときguest speakerとして招かれていたメルボルン大学のProf. Lo Biancoはlanguage policyのスペシャリストで、オーストラリアのみならずヨーロッパとアジア各地の言語政策作りに携わっている方だった。例のアメリカ人の教授からも、学会に行く前にメールで"he is fantastic"と言われていたので彼が話すspeechは全て聞きに行った。僕の英語力の低さに加えて、Australian Englishが聞き取りづらかった・・・けど、とりあえず話が聞けただけで大きな収穫だった。これはメルボルン大学も視野に入れた方が良いかもしれん、と本気で考える今日この頃。

それ以外で思ったことは、稿を改めて書きます。


9月3日~6日
ひたすら勉強。しかし英語ではなく勿論rough draftの。自分が考えていたことが全て研究者の間では前提だった、とあっては、ほぼ一からのスタートに等しい。泣きながらドラフトを完成させる。

9月7日
教授と面会。苦心して作ったdraftを見せる。1分ほど見てもらえただろうか。笑


"OK, that's fine."



終了。



なんだか清々しい気分だ。こうもあっさり終わると。努力の甲斐は・・・・まぁ怒られなかっただけ良いだろう。笑
色々手直しされて、次に会う日程はまたメールで決定することになった。
運命加速中。



やっとブログが現実に追いついた。かな。

9/09/2011

まとめてブログ②

まとめてブログ①の続き。

この時点での状況はこんな感じだ。
・8月25日に奨学金の締め切りがある。多くの日本語申請書類に加えて、英語で書く「大学院での研究要旨」に頭を悩ませている。
・8月27日にTOEFL@埼玉がある。研究計画が纏まらず、TOEFLの勉強なんて手が回るわけがない。
・8月28日にフィールドワーク@仙台がある。
・8月30日から9月2日まで学会@福岡がある。
・9月7日にrough draftの提出がある。
・9月29日に卒業論文中間発表がある。

以上の前提のもとお読みください。笑

8月18日
奨学金の締め切りまであと一週間、TOEFLまであと9日と迫っていた。
僕は基本的に、というか自慢できるほどロングスリーパーだ。こればかりはどうしようもない、と思う。朝は早くて10時。ご飯を食べて13時くらいから2時間ほどお昼寝。夜は25時くらいに就寝して9時間はたっぷり寝る。ほんと駄目な人間だと思うが、これを崩すと死ぬほど体調悪くなる。朝ご飯を食べようものなら、胃の調子が悪すぎてお昼ご飯はウィダーインゼリーかスープ春雨というOL顔負けの食事になる。
まぁ、かのアインシュタインは10時間寝ていたというから、悪い事ではないだろう←

さて、そんな僕がこの時期は25時に寝て7時には起き研究室に行き、愚痴と弱音を吐いていた勉強に精を出していた。無論精も根も尽き果てていたわけだが、絞って出てきたオカラをエネルギーに勉強していた、と言えば分かりやすいか←
ちなみにこの2週間ほどで3キロ痩せた。

8月23日
やっちまった。遂に限界を突破したらしく、朝起きたらお昼近くになっていた。最後の追い込み時期にやっちまった。本当にやっちまった。

8月25日
なんとか奨学金の応募書類を提出した。なぜこの辺りの事を詳しく書かないのか。書けない事情があるからだ。ネタとしては申し分ないのだが、身の危険があるので書けないことを本当に申し訳なく思う。
しかしとにかく提出し、ほっと一息着くとそのまま灰になりそうだったので、気分を保ちつつ・・・

同日深夜(24時過ぎ)
やっちまった。楽○トラベルで東京行きのバスチケット予約したのに、まさかの振り込み忘れだ。安心し過ぎた。この辺りからも僕のキャパオーバーっぷりが見て取れるだろう。でも過ぎたことは過ぎたこと。たまにはリッチに新幹線で行くことを決意し就寝。

8月26日
新幹線で埼玉へ。ホテルをとるのも遅れたため、4,500円と少し高めだ。でも値段相応のホテルだった。

8月27日
TOEFL@埼玉
お察しください。

同日午後23時頃
バスで仙台着。

8月28日
朝10時から仙台市内某所にてフィールドワーク。午後3時くらいに解散。

8月29日
久々に丸一日空いていたわけだが、この日中にこなすべきミッションがあった。
ミッション①:まず、福岡の学会は「大学英語教育学会」、要するにSLA(第二言語習得)に関わっていたわけだが、僕にはその知識がほとんどない。ましてや3日間に渡って、ほぼ英語で開催される。知識が不足していては何をしにいったのやら分からん。ということでこの一日で基礎的な用語と概念を英語でたたき込んだ。
ミッション②:学会というものに出席するのが初めてすぎて、どういうバッグが良いのかも分からん。ボストンバッグ?キャリーバッグ?・・・どっちも持ってない。僕が持っているのは一人旅した時のバックパックだけだが、それでも良いのだろうか?
ということでキャリーバッグを買うことが二つ目のミッションだった。

そんなわけで29日もまるまる一日潰れた。勉強してキャリーバッグ買ったら終わった。


さて、翌日から福岡に飛ぶわけです。


続く

9/08/2011

まとめてブログ①

久々に時間が出来たので、更新していこうと思う。

とりあえず最近やったことのまとめ。どこから書けば良いんだ。笑

まず、8月の前半。この時点での僕が置かれていた状況は大体こんな感じだ。
・8月25日に奨学金の締め切りがある。これの準備は大した時間はかからないだろう、と踏んでいた(これは後に大きな間違いであると判明した)。
・それにしても、いい加減大学院でやりたいことについて勉強しなければ。と思い悩んでいた結果、悩んでいても仕方ないからほぼ初対面でもインターネットで名前を見ただけでも、第二言語習得をやっているであろう先生にはメールを打つことにした。「第二言語習得理論を勉強したいのですが、その分野に詳しい先生に知り合いがいません!どうか助けて下さい!」って。この時点でメールしていたのは2人。お二方とも返信を下さり、片方の先生からは8月末に福岡で大きな学会があることを教えて頂いた。もう片方の先生は会ってくださるとの事だった(このブログを書いている時点でまだ実現していない)。
・8月27日にTOEFLがある。

以上の前提のもとお読みください。笑



8月6日
7月末に受けたTOEFLの結果が公開された。
91点。まー7月後半ならこんなもんか。ていうか90点乗ったことがとりあえず嬉しかった。

8月10日
うちの大学にいるアメリカ人の教授で、言語教育をやっている方に大学院の相談をしに行った。大学院の応募も迫ってきたし、藁をもすがる思いだ。


<恐らくこの教授に会いに行ったところから、僕の運命が急激に動き始める。全ての事象が絡まりあう、絶妙で極上のハーモニーを奏でていく←>


さて、この教授・・・・向こうからものすっっっっっごい話してくれた。怒濤のように。もう質問とかする余地無し。英語で抽象的な会話が出来ないことを悔やんだ。折角のアドバイスが理解出来ない・・・・!!!!悔しい!
んで、言語教育について自分が思うことを話したら "Well, you can make a presentation in a conference, if you want."って言われた。当然これは冗談だろうな、と思いつつ"Haha, yes, if I have an opportunity, I may."という何とも弱気な返事でこの日はおしまい。どっと疲れた。


8月17日
僕のブログに良く登場する、某アメリカ大学院に留学中の先輩にSkypeをする。何というわけもなく。iBTの現状報告しようかなーって感じで。

自分:この前のiBT91だったんですよー。
先輩:おー、良いじゃん。やりようによっては次100超えるよ、がんばりー
自分:ありがとうございます^^
先輩:で、最近留学の準備はどうなのよ
自分:最近は、いろんな教授の所にメール出したり、直接話聞きに行ったりですね。あ、この前アメリカ人の先生の所に行ったら、『学会で発表しない?』って言われちゃいましてね(笑)
先輩:え?
自分:まー冗談だとは思いますけどね!ははは
先輩:お前、それは、絶対やった方が良い。
自分:・・・え?



決定。



背中を押されると空だって飛べちゃう単純明快な僕は、翌日教授にメール。学会の話が生きているか、あれは冗談だったのか、門外漢の自分が学会発表とかして良いのか・・・疑問は尽きなかった。


・・・・・またものすっっっっっっごいメールきた。笑 3個くらい学会の話を教えてくれて、そのうち一つの学会が小さくてフレンドリーなものなので、きっかけとしてはピッタリだと思う。と話してくれた。じゃあそれがやりたいです、と話すと
"OK, then please make your rough draft and bring it to me. How about the 2nd week of Sept?"的なメール。8月25日に奨学金の応募締め切り、28日はTOEFL、30日から福岡に飛んで9月2日まで学会の予定だったので、Draftを作ってる時間なんてねーぞ、と思いつつ、なんとか9月7日に延ばして貰った。つまりこのブログを書く前日だ。

そんなわけで、まずは8月25日に控えていた奨学金の応募に全勢力を注ぐ事になるわけです。



続く