2/23/2013

ねいてぃぶ信仰のはなし

英語教育の世界では、"ELF"(English as a Lingua Franca)という考え方がある。定義は色々あるが、単純に言えば母語が異なる人同士が使う、「共通語としての英語」という事だ。国際会議や国際交流で使われるのはELFということ。



ELFの一例。櫻井よしこ×ダライラマ14世。7:10くらいから


また、Kachruというとっても偉い学者さんが提唱した、"inner/outer/expanding circle"という考えもある。これも単純に言えば、「inner circle=英語を母語とする国々」、「outer circle=英語がステータスとして認められ、広く英語が浸透している国々」、そして「expanding circle=英語が浸透していない国々」といった感じ。アメリカやカナダが第一群、シンガポールやインドが第二群、日本や韓国が第三群となる。ポイントは、人口の流動が加速する昨今、人々はこの3つのサークルを行き来し、それぞれの国で「それぞれの」英語を話して暮らしているという事だ。そこで家庭が出来、子どもは教育を受け、下手をすると途中で親の母国に帰ったりする。

要するにこうした概念が示すのは、世界では「英語の国際化」が起こっているという事だ。英語はインドヨーロッパ語族圏を離れ、世界中で"Englishes"として「土着化」している。Englishという言語も、native speaker of Englishという概念も、もはやinner circleのためだけのものではない。

多くの日本人は、巷に溢れる「これではネイティブに通じない」とか「ネイティブの発音」とか「ネイティブはこう考える」とか「ネイティブのように考えなければ英語はマスターできない」とかなんとかいう文句に弱い。学校でも、発音や文法や語用論はアメリカンスタンダードイングリッシュなるものに依拠している。



だが、あなたたちの言う「ねいてぃぶ」とは誰なのか。何を以て「ねいてぃぶ」なのか。それはいかにして計られて、なにを達成すればあなたは満足するのか。ていうか、そもそも何故日本人が「ねいてぃぶ」を目指す必要があるのか。
少し考えれば、この「ねいてぃぶ」が実体のない、イデオロギー的空想であると分かる。そして逆に言えば、実体のない空想でありながらイデオロギーとして日本人にしっかり根付いている。国際化の現状を考えれば、「目指すべきはELFではないか?」と気づくはずだが、それは世論とはなりえない。
これが何故か、という話はここでは置いておくが、まぁ、多くは「金の問題」と言えば事足りるだろう。

とにかく、ここで言いたいのは、「自分が英語を勉強する目的」を「はっきり」させた方が良い、という事だ。前のエントリーで書いたけれど、言語学習に果ては無い。目的が無ければ一生改善の余地があるのが言語だ。
僕はネイティブ(inner circle communityの人々)を目標として掲げること自体を否定しているわけではない。例えばイングリッシュ・ネイティブに「君は本当に日本人かい?完璧な英語だね!小さい頃は英語圏で過ごしていたんでしょう?」と言われる事は可能だと思う。大変困難な道だけど、頑張れば良いと思う。現に僕もそれを一つの目標として考えているわけで。
それに、「ジャパニーズイングリッシュ」というものが日本人にも外国人にも認知されていない以上(つまり日本がexpanding circleに居る以上)、「アメリカン/ブリティッシュ・スタンダード・イングリッシュ」なるものをきっかけにするのは当たり前だとも思う。
だが、英語学習の目的は「ネイティブ」だけではない。学習計画の基礎中の基礎だが、まず「ニーズ」をはっきりさせ、そこから「ゴール」を設定し、学習法に移る。
「あなた」の「ニーズ」は何なのか。「何故」英語を学ぶのか。旅行か、チャットか、ビジネスか、映画鑑賞か、研究か、恋人作りか?どの位、どの英語が使えれば「ゴール」なのか?そこに「ネイティブを目指す必要性」はあるのか?「あなた」の目指す「英語」は「どのタイプの英語」なのか?



英語は、一つではない。
あなたは、あなたの「学習目標」を定義できるだろうか。
それが無いと、イデオロギーとしての「ネイティブ」が目標設定される「仕組み」になっている。イデオロギーとはそうして再生産されるものだから。
そしてそうなった以上、一生英語に対して劣等感を抱く事になる。どのネイティブを目指そうが、「ネイティブ」とはその位難しい目標なのだから。