4/24/2014

国際交流の思い出

何となく、思い出したことを書こう。



あれは、大学一年の頃だ。

僕が大学一年の頃から所属していた国際交流サークルは、新しく日本に来た交換留学生のお世話をしたり、留学生と日本人が一緒に楽しめるイベントを作ったりするのが主な目的で、そうした活動を通じて、僕は当時一人のフィンランド人と仲良くなっていた。

彼は僕よりも一つ年上で、笑顔が素敵な皮肉屋さんだった。笑
留学生にはありがちだが、彼もまた「日本の女の子はカワイイですねー」とか「この街のred-light area(分からない人は調べて笑)はどこですか」とか「日本のアニメは・・・」とかなんとか色々話してた。優しくて面白くて、そして少しニヒルな感性を持ち、感情的な奴だった。


2008年の僕の誕生日。
その日はサークルの友人たちに、ちょっとしたホームパーティを開いてもらった。本当にちょっとした物で、ただみんなでご飯を食べただけの、単なる宅飲みに近かった。
誕生日が終わって数日後、僕と、サークルの友人、そしてそのフィンランド人と学食でご飯を食べていた。当時僕とそのサークルの友人は英会話に楽しみを覚えたばかりだったので、その日はみんな英語で会話していた。

どういう拍子だったか、彼が言った。

「誕生日には、ホームパーティがあったんでしょ?」

僕は答えた。

「うーん、まぁ、あったよ」

僕はそのあと、「でも小さなもので、パーティじゃなくて誕生日にかぶせてみんなで飲んだだけ。」というような旨を続けたかったのだが、彼がさえぎった。




Without me. We are not friends any more.




ハッとした。
彼を見た。
眼から涙がこぼれていた。


分からなかった。
いや、なんとなく頭で理解はしたけど、「そんなに感情的になることなのか?」と問わずにはいられなかった。宅飲みに友だちを誘ったり誘わなかったりというのはよくある話で、それは友人関係とイコールではないじゃないか、そんな事は当たり前じゃ無いか、と。




今、外国で数ヶ月過ごし、言葉の壁にぶつかり、乗り越え、またぶつかっている僕には、やっと彼の気持ちが分かる。
異国で言葉の壁にぶつかる人間が、ネイティブの友人を作る事がどれほど大変で、やっと出来た(と自分では思った)友人から誘われない事がどれだけ悲しいか。自分と異国とをつなぐゲートキーパーが—たった数人のそのゲートキーパーが—自分専用ではないと理解する瞬間。それは自分が本当に独りぼっちに思える瞬間なのだ。


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追記:実はこのエントリーは、今から一年も前に「下書き」として未完のまま放置されていたものだ。今見直して、加筆して、公開してみた。
友人が自分専用ではないというのは当たり前の事なんだけど、本当に独りで生活しないといけない時、「やっと出来た友だち」の価値はすごく大きくて、依存度が高まる。でもその気持ちは経験してみないとなかなか分からない。

僕はこのサークルに居たときから、国際交流(「交流」一般とも言える)を勝手に「異なる文化背景を持つ人々が、感情を共有する行為」と定義している。国際交流とは3F(Food/Festival/Fashion)のような表層交流ではなくて、「違うけど同じ」を文字通り「実感」する行為だと。だから、時に「国際交流」はすごく時間がかかる。僕にとって、彼との国際交流は4年かかったわけだ。

これを書いたのは2013年の5月くらいだから、ちょうどハワイに慣れてきて、insiderとしての自分とoutsiderとしての自分の気持ちが入り乱れていた時だと思う。今となっては友だちは沢山いるし、こっちから飲みに誘ったりも出来る。ハワイ大学の院生として、insiderだなと思える。それは嬉しいけれど、だからこそ忘れてしまう事もあるのだ。今では書けない、当時の素直な気持ちがこの「下書き」に表れている気がした。



4/18/2014

たくさんのはじめて

修士課程が終わりに近づいてきて、同時に新しい生活の準備が始まっていて、たくさんの「はじめて」を経験している。修論も、職探しも、職探しのためのペーパーワークも、新しい家探しも、卒業に際するペーパーワークも。

ストレスではあるけど、とても刺激的だ。
何にしても「はじめて」はとても緊張するし、精神的な負担も大きい。けれど、マンネリ化した生活を活性化させてくれるから嫌いではない。

「はじめて」が嫌いでは無いのは、同時に、アメリカにいるからだな、とも思う。つまり今まで英語を使わなかった分野で英語を使うから。そして今まで触れなかった側面の「アメリカ」に触れるから。
銀行に電話をしたり、職探しをしたり、面接を受けたり、雑務をこなしたり。日本で「勉強した英語」から離れて、「ああ、今英語を使っているな」って思えるから。自分の居場所である寮や教室やキャンパスを離れて、新しい世界を開拓していくから。

この前成長は目に見えないと書いたばかりだけど、こんな風に自分でも分かる成長もある。今、毎日が目まぐるしくて楽しく感じる。


今日もまた、「はじめて」に向かう

4/15/2014

最後のプレゼンテーション

2週間ほど前に、とある授業でプレゼンがあった。一授業(3時間)まるまるプレゼンテーションという鬼畜ぶり。テーマは"Reflective Teaching"。つまり、教師としての「自省」という行いについて。
終わってから気がついたのだけれど、修士課程としては2年間で最後のプレゼンだった。

先週、教授からの評価シート+クラスメートからのfeedbackが返ってきた。
教授からの評価は40/40、つまり満点。"You did an excellent job"とのコメント。クラスメートからのfeedbackにも"excellent", "I really liked your seminar"というコメントがあって、"What was the weakness of the presentation?"という質問には、空白か、"None!"というコメントしかなかった。

僕が初めて授業でプレゼンをしたのは1年半前、社会言語学の授業だった。テーマは「日本の英語イデオロギー」。20分のプレゼンのために、緊張と準備不足で2時間ほどしか眠れず、前日からレッドブルを3本入れて臨んだのを覚えている(というか、レッドブルを10時間ごとに一本注入し続けたら、眠れなくもなるか)。それでも、僕は日本語でのプレゼンには多少自信があったものだから、日本語でプレゼンしている姿と、英語でたどたどしくプレゼンをしている自分とのギャップに泣きそうなほど悔しい思いをした。教授の優しいfeedback ("Generally you seemed very comfortable and wellversed in your topic")が逆に傷をえぐった事もよく覚えている。



そして1年半が経った今、3時間のプレゼンをこなして"excellent"と言って貰える仕事が出来る。自分でも、「悪くないプレゼンだったな」と思える。もちろん反省点は沢山あったけれど。



成長は自分では見えづらいけれど、逃げずに努力を続けて良かったなと思う。
これからも、悔しさの合間にほんの一瞬訪れる嬉しさの為に、努力を続けたいなと思う。そしてそれを、自分の生徒に伝えたいなと思う。




4/10/2014

無題

あっという間に、前回投稿したのが12月になっていた。笑
2月くらいに、試しにTwitterを始めてみたら、そっちのが向いていたみたいで、そっちに心を奪われてしまった。笑
と言っても僕の知人・友人でも、僕がTwitterにいるとは知らない。Twitterを始めた理由は、単純にどこでも思いついた事をメモ出来て、かつどこからでも閲覧できるのがいいなと思ったからに過ぎない。だから、フォロワーもフォローもほぼゼロだし、TLなんて見てない。笑
僕はかなり移り気なので、ブログのように読者を想定して、筋の通った文章を書いて、推敲して、というよりも、Twitterのように次から次へとアイディアを乱発する方が向いているようだ。


まあそれはともかく、早いものであの泣きたかった2012年の出願から、2年経ってしまった。あんなに頑張ったiBTもexpireしやがった。
何もかも早い。早すぎる。もう修了だ。

というわけで、今回顧録を書いています。若干、またはかなり、思い出補正がかかっているかもしれませんが、2年間で悩んだことや思った事を書き上げています。
世界のどこかの誰かのためになりますよう。